テニスラケットの柄を握りしめて、対面から歩いてくる女性がいた。
すれ違いざまに殴られるんじゃないかと恐怖を感じたので、鞄にしまうなりなんなりしてほしいと思った。
テニスラケットの柄を握りしめて、対面から歩いてくる女性がいた。
すれ違いざまに殴られるんじゃないかと恐怖を感じたので、鞄にしまうなりなんなりしてほしいと思った。
ここ最近、物を捨てることがストレス発散になっている。
この連休は、洗面台周りの見直しをした。
ほぼ未使用品のヘアワックス10個、ヘアスプレー3本、化粧水2本、乳液3本全部捨てた。
昔は、いつか使う日が来るかもしれないと物を捨てられなかったが、いつの間にか躊躇いなく物を捨てられるようになっていた。
買い物の才能は無くても、捨てる才能はあるのかもしれない。
——金曜日の仕事終わり。
エレベーターに乗り合わせた二人組の初老のサラリーマンが、「やっと一週間が終わったね」と互いに笑い合っていた。
この人たちは、この歳になるまで働き続けてきたのかと思ったのと同時に、一生この日々が続くのかと思って気が滅入った。
朝はいつも卵かけご飯を食べるのだが、今日はどうしても食欲が出なかった。
昼はカロリーメイト2本で済ますため、朝は何かしらお腹に入れておきたいということがあり、冷蔵庫にあった牛乳を無理やり飲んだ。
その後、出社していつも通り仕事をこなしていたのだが、午後になって急激に体調を崩し、1時間ほどトイレに篭った。
ラーメンとか、とんかつとか、そういう類のものが苦手になって、代わりに助六とか、茶碗蒸しとかを好んで食べるようになった。
若い頃は、助六なんて誰が食べるんだろうと思っていたのに。
年を取るとは、こういうことなのかもしれない。
昔住んでいたマンションに、とある女性が住んでいたのだが、数年に一度、最寄り駅で彼女の姿を見かけることがある。
彼女は私が中学生の時に高校生だったので、私より2、3歳年上である。
おそらく彼女は私のことを認識していないが、私は彼女のことを認識している。
何故なら彼女が可愛いかったからだ。
つい先日、数年ぶりに彼女のことを見かけたのだが、ちょっと見ない間におばさんになっていた。
時間は残酷だなと思った。
通勤中、改札で立ち往生しているおじさんがいた。
おじさんは、エラーになっているのにもかかわらず、ICカードをかざし続けるものだから、改札には人が溢れていき、渋滞ができた。
ようやく諦めたかと思ったら、周りの視線には目もくれず、不思議そうに首を傾げるおじさん。
首を傾げたいのはこっちである。
改札に引っかかった時、首を傾げる人と、頭を下げる人の2パターンに分かれるが、圧倒的に前者が多い気がする。
日本人が謙虚というのは本当だろうか。
駅の自販機の前で、家族と思しき三人組を見かけた。
母親は、娘が首からぶら下げたピンク色の水筒に、たった今自販機で買ったであろうポカリスエットを注いでいた。
そしてその様子を、早く飲みたいと言わんばかりに、兄が無言で見つめていた。
おそらく、兄と妹で分け合うのだろう。
私もかつて幼かった頃は、妹と共に、同じように母の手によって満たされていた。
思えば、家族が揃っていたときは良かった。
今は色々辛いだけだ。

写真は中華料理「宏苑」の豚ロース丼。
父親が生前、一緒に出前を取ったときの写真をたまたま発見した。
父はあまり夜ご飯を食べなかったが、たまに出前を頼んで一緒に食べた。
浴びるように酒を飲む人で、基本飲み終わるまで食事に手をつけない。
だから、いつも泥酔の状態で出前を食べていた。
おそらく、その時の意識はほぼなかったんじゃないかと思う。
出前の中でも、特に良く頼んでいたのがちらし寿司だった。
ちらし寿司を頼むと、父は丼の上の魚介だけを食べ、ご飯を綺麗に残していた。
最初、私はそれを見て衝撃を受けたが、次第に、刺し身頼めばいいのに…と思うようになった。
今思えばあれは、魚介だけを食べる前提でちらし寿司を注文していたのだろうか。
それとも、意識のない状態の中、本能のままに魚介だけを貪っていたのだろうか。
今となっては知るすべはない。

たまたま自宅から見えた花火。
この歳になると、純粋に綺麗だなあ、とはあまりならない。
音楽や香りと一緒で、花火とリンクして色んなことを思い返してしまう。
昔、大人はどうして花火で泣くのかな?と思ったことがあるが、今では気持ちがよくわかる。